Profile
工藤 森生(くどう もりお)
生まれは宮城県丸森町、本籍は岩手県久慈市、実家は青森県青森市。昭和56年3月岩手県立宮古高等学校を卒業。昭和60年3月東京農業大学農学部林学科を卒業。昭和60年4月北海道庁に入庁し、37年間林務行政に関わり令和4年3月退職。令和4年4月から北海道木材産業協同組合連合会の専務理事として木材産業に関わる。森林インストラクターや山菜アドバイザーの資格等を取得し、一般社団法人日本森林インストラクター協会の理事や北海道森林インストラクター会の副会長も務める。
-長年、北海道の森林行政にかかわってこられたということですが、まずは先生のバックグラウンドについて教えてください。
父や親戚が国有林に勤めており、小さい頃から森林とのかかわりがありました。深い森だったので森で遊ぶというよりは森林で働く作業員に遊んでもらった記憶があります。そうした背景もあり、大学で林学を専門に学びました。その後、仕事として林業をできればと思い、試験を受け、37年間、北海道の森林行政に携わってきました。
-お名前も「森生(もりお)」さんですが、やはりご親戚の森に対する思いもあったのでしょうか。
実は、最初の名前は桂の木の「桂(かつら)」だったのですが、母親が「女の子っぽい」というので途中で名前が変わり、今の名前になりました。小さい頃は嫌だったのですが、仕事関係で覚えられやすい名前という意味ではよかったのかもしれません。
-森林行政というお仕事について、具体的にどんなことをされてきたのか教えてください。
道有林の森林管理からスタートしました。山の木の調査をして、木を売る、ということをやっていました。木の特性を知って、木の値段も考えながら、山をどうつくっていくか、考えながら仕事をしていました。他にも、国定公園の許認可や木育などの普及啓発もしていましたし、国の方で林務関係の予算調整などもしていました。
-木の調査から山をどうつくるかまで考えるというのは大変なお仕事ですね。
私が入った当時は、今のみなさんは信じられないと思いますが、企業会計だったんです。つまり、公務員でありながら売上をあげて給料をださなくてはいけませんでした。一般の企業に近かったんです。ですから、収入もコストも考える必要がありました。伐ったら次をどうするか、総合的に考えて仕事をしていました。
-当時植えていた木は針葉樹ですか?
針葉樹もあれば広葉樹もあります。針葉樹は最終的に使うことが前提で、植えてから30-40年サイクルで伐採されます。 広葉樹の場合は、100-300年単位のサイクルになります。広葉樹の場合は、植えるというよりも、大きな木を切って、下に生えている稚樹を大きくする、または自然に落ちた種を発芽させるという育て方をしていました。そのため、長い時間がかかりました。
-針葉樹と広葉樹はどちらが多かったのでしょうか。
昔は広葉樹が多かったです。どんなにがんばっても人が植えた場合、1haあたり4000本くらいが限界です。今は2500本前後ですが昔は4000本ぐらい植えていました。自然の場合だと、計算上は種から1haあたり13000本くらいが育つことになります。ただ、未成熟なものも含まれるのでそれが淘汰されるのに時間がかかります。人が育てた苗木は最初から優秀なものだけを選んでいるので、当然成長も早くなります。よって、多く植えなくても森林になりますし、多く植えたらそれだけ植える・育てるためのコストがかかるので、最近、林業の世界では低密度で植えてコストを抑えるのがあたりまえになっています。
-今でも行政は山をどうつくるのか(山のデザイン)を考えながら仕事をされているのでしょうか。
今もやり方を変えながら続いています。労力、コストかけず、将来のことを考えながらデザインするというのは今も昔も一緒です。
-「将来のことを考える山のデザイン」というのは具体的にどういうものでしょうか。
環境を壊さない、それでいながら業という林業を両立させることです。つまり、人工林は最終的には皆伐(全て木を伐ること)するので、必ず植林をします。すると山はまた復活し、自然環境も保たれます。植えていかないと業としての継続性もなくなってしまいます。
伐ったら植える。植えて、育てて、また伐ったら植える。この繰り返しです。当たり前といえば当たり前のことです。昨今、SDGsや気候変動の観点からこのサイクルの需要性が言われるようになってきましたが、林務に関わってきた立場からすると、林業自体、自然のサイクルをつくってやっているんだという自負を持ちながらやってきました。
-「植えて育てて伐ってまた植える」。このサイクルが難しかった時代も過去にはあったのでしょうか。
『北海道山林史』という本によると北海道の林業がスタートしたのは江戸後期、本格的に木を伐り出していったのは明治以降です。当時、近代化を進めていた日本としては、木を出して使うのが主でした。計画的に植林をやっていればよかったのですが、開拓の波は止められませんでした。また、昭和には戦争もありました。1954年には洞爺丸台風と呼ばれる強い台風が北海道を襲い、連絡船が沈没するなど大きな被害が出ました。この台風の影響で北海道の山もだいぶ痛みました。倒れた木を放っておくと虫が発生するので鋸や斧などで切って外に出しました。しかしながら倒れた量が多かったので人力だけでは対応できず、林業機械を導入しなければならなくなりました。これがきっかけとなって北海道の林業は機械化が進みました。ただ、木材を大量に出し過ぎて価格が落ちてしまいました。過去には良い面と悪い面、両方あります。
-北海道の林業の今度の課題は何でしょうか。
木材の加工施設を増やすことです。北海道には加工するところが少なく、たとえば乾燥するための機械がなかなか導入できていません。その結果、北海道産材は車を輸出する際の梱包材としての枠などに使われています。つまり、乾燥させなくてもいい安い材として使われてしまっているんです。これをどうにかして価値をあげて建築材として使われるようにすることによって山の人たちの収入UPにつなげていく必要があります。戦後、木材をたくさん植えたのですが、その結果、木が若く、細い材しか取れなかったため、どうやって使うかを考え、梱包材になってしまったという歴史的な経緯があります。がんばった結果なんです。 ただ、その結果、北海道産材は、安くて質が低いというレッテルを貼られてしまいました。だから付加価値をあげて建築材として評価されるようにしていくことが必要です。
-その意味ではikumoriプロジェクトは北海道産材の付加価値をあげることにつながりますね。
そうなっていってほしいと思っています。日本人は木材を贅沢に使いすぎです。年輪がきれいに通ったものしか使わないという傾向にあります。しかし、そうすると無駄がでます。節や穴があるものも補修しながら使えばそれなりに使えますし、木材の有効活用にもなります。
-海外と日本では木材の使い方は違うのでしょうか。
海外はどんな木でも使います。日本の場合、木材を美的感覚で使ってきました。ただ、木材は乾燥すればみんなそれなりに使えます。そこを見直してほしいと思っています。
-現場でかなり木を捨ててしまっているということですね。
そうです。売れるものしか市場に出さず、残りは捨ててしまっています。全部使うようにすることが大事だと思います。そのためにはそれぞれの木材の持ち味を生かすことが必要になります。
-「広葉樹を使った分だけ森にお返し」というikumoriのコンセプトについて、どうご覧になっておられますか。
コンセプトとしてはいい流れだと思います。ただ、植えるところだけではなく、育てていく、つまり、植えていくことによってどう環境が変わっていくかも考えていく必要があります。最近、生物多様性という言葉をよく耳にするようになりました。たとえばシラカバでもハリギリでも、1本の木があるといろんな虫や鳥がやってきます。でも全てが集まるわけではなく、虫や鳥によって好き嫌いがあります。いろんな木を植えていくことによって、それぞれ好きな生き物がついてきます。その結果、多様化します。ですので単一の樹種を植えるのではなく、いろいろな木を植えると生物の多様性につながり、豊かな自然になります。ikumoriプロジェクトも今後、いろんな樹種を植えていくことが大切なのではないかと思います。
-ikumoriプロジェクトの植樹も2回目を終えました。今後、さまざまな樹種を植えていくと生物の多様性も変化していきそうですね。
木が大きくなると日陰ができるので生息する動植物が変わります。おそらく毎年変化すると思います。企業に植生・生態調査を頼むと多額のお金がかかりますが、今回のようにスマホのアプリを活用して子ども参加型でデータを集めていく形で十分だと思います※。プロジェクトを進めていく上では、広葉樹のいい面と悪い面、両方の理解も大切です。人が植える場合、だんだん枝が太くなるなど欠点も大きくでてくる可能性があります。そこを理解して植えて使っていってほしいと思います。将来的にいい材が必ずとれると思っていると難しいです。生き物は欠点がたくさんあります。欠点をどういかすか。人間の知恵が求められるところだと思います。
※2022年10月15日に北海道で行った植樹祭では、「BIOME(バイオーム)」というアプリを使用し、子どもたちと一緒に植樹エリアでの生き物調査を行いました。今回、昆虫や種子植物など合わせて185件の投稿がありました。その内、希少種の投稿が3件ありました。
-最後に今後の森林行政への期待を教えてください。
ikumoriにかかわって思うことは、いろんな樹種を使ってほしいということです。針葉樹、広葉樹、特性はそれぞれです。広葉樹は、特に硬さがさまざまで、切っていくと、いろんな模様が出てきますし、風合いも違います。そこがとても面白いところかなあと思います。日本の昔の人たちは、木材の固定観念に囚われて使っていましたが、今後はいろんな木の面白さを活かして使ってほしいと思っています。そうすることで無駄なく使うことにつながります。悪い木、いい木という見方を変えてほしいですね。日本人は贅沢な使い方をしすぎています。木材を育てて、伐って、使う現場にいる私としてはもったいないなあと思いますし、自分たちで育てた木は全部使ってほしいですし、価格の高い建材として使ってほしいと思います。
-長年続いてきた「木の見方を変える」のはそれなりに難しいかもしれません。モノの見方を変えるヒントは何かありますか?
例えば、しゃがむ、後ろ向きに歩くなど目線の高さや方向などを変えてみることをおすすめします。
目線がかわるだけでモノの見方がかわります。しゃがむと子どもの目線、もっとしゃがむと動物の目線が分かります。部屋で仕事をしていても目線を変えることは大事です。歩き方を変えるだけでもモノの見方が変わるかもしれませんよ。
-ikumoriプロジェクトは北海道林業の未来を変える突破口になりそうですね。
そうですね。ただ、あんまりがんばりすぎないことも大切です。続けることが大切です。資源循環はある程度、面積が必要で狭いとお金がまわらなくなります。ただ、お金だけを優先するのではなく、気持ちを優先することも大事です。小さな面積であってもぜひ資源循環をつくっていってください。もう一つは情報発信を続けること。その情報を見た人たちが活動に参加するという流れをつくることによって活動を継続させることが重要です。
-北海道の林業の歴史からikumoriプロジェクトの意義、今後の課題まで教えていただき、本日はありがとうございました。
【商品を詳しく見る】
■ナラ フローリングはこちら / パネリング(壁材)はこちら
■ニレ フローリングはこちら / パネリング(壁材)はこちら
■セン フローリングはこちら / パネリング(壁材)はこちら